分かり易い根本的な聖書の話
エデンのそので人は神様の命令に背いて、食べてはならない木の果実を食べてしまった!
私は以下のことをいつもなるべく多くの日本人に自分の口で伝えてきました。そして、私の言っていることを理解できなかった人は今までいませんでした! だからさらにもっと多くの人にこのメッセージを伝えるためにこの聖書の創世記のクラスを作りました。皆様に楽しく読んで頂くことができるなら幸いで す。
この聖書の言葉はみな、新共同訳からです。興味深い節と分かりにくいところだけ太字で説明してあります。
この解釈の部分は、聖書を引用し、私が自から日本語で説明を加えたものです。
わかりにくい点がありましたら、教えてください。
創世記の1章一節からはじめます。
1:1 初めに、神は天地を創造された。
宇宙は造られたものであって、進化されたものではありません。ちょうど私のこのコンピューターが誰かの手によって造られたように、この地球と すべての生命は造られました。誰に? 創造主である神様に! だから本当の天の神は創造主だと言えます。
1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
地球はその時、海ばかりで、乾いた土地はまだなかった。
1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
まだ太陽と星が出来上がる前に神は光そのものを造りました! その光はどこから発したでしょうか? もしかしたら神ご自身からかもしれませ ん! 聖書の第一ヨハネの手紙の1章の5節では、「神は光であって、神には少しの暗いところもない。」と書いてあります。
1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
第一の日に神は何を造りましたか? 地球、水、光、そして時間です!
根本的なクリスチャンもユダヤ人も、この第一の「日」というのは、今の24時間の一日の長さと全く変わらないと信じています。それならば、地 球の歴史は何十億年よりずっと少ないはずです。 よく調べてみてみると、科学者の「何十億年」だと言っていることは、理論に過ぎず、実際の証拠と証明は全 くないのです!
1:6 神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
1:7 神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。
ノアの箱舟の前まで、神は大気の高い所に水の層を置きました。その層は太陽から放たれている人体に害を与える放射線、特に紫外線から人間と動 物を守ってくれました。それが理由でノアの洪水の前まで人間の命の長さは今より10倍だったのです! 一番長く生きた人は969才までした! 創世記の t”>5:27では、「 メトシェラは九百六十九年生き、そして死んだ。」 大洪水の時にこの水の層は雨となって地上へ降り注がれ、なくなってしまいました。そして急に大抵の人間 の命は100年間以下になりました。どうして神はそうさせたでしょうか? それは人は長く生きれば生きるほど、もっと悪いことをするに違いないと神様は思 われたのだと私は思います。
神が地球と太陽の間に水の層を設けたもう一つの理由は、地球が水の層によって守られ、太陽の直射日光をうけず、心地よい常温が保たれる為でした。そ の為、そのころ地球上の天候は常に穏やかだったのです。
神様がこれらの祝福を人間から取り去らなければならなかったのは、人間の罪のためなのであり、人間の寿命を短くするためだったのでしょう。
どのお医者さんでも教えてくれると思いますが、あまりにも長い時間日光浴をするのは、よくないですよ! 皮膚ガンになるだけではなく、より早 く老けてみえるようになります。太陽に気を付けましょう!
1:8 神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
神は第二の日に何をしましたか? 「大空の下と大空の上に水を分けさせられた。」 そして神はまたその日に「大空を造り」、つまり空気、大気 圏を造りました。
1:9 神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。
1:10 神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。
大陸と島が、(そして日本も)できた! 地球上の大陸面積は海の占める割合に比べるとかなり小さいのですが、大陸が海によって呑み込まれてし まうようなことはありません。神がそう定められたからです。
1:11 神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。
1:12 地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。
1:13夕べがあり、朝があった。第三の日である。
三日目に神は大陸(乾いた土地)と植物を造りました。これは、神が太陽を創造する前の日に起こったことです。まだ、太陽が存在していなかった 時にです。この説明からも言えるように、生命は、進化論と言う課程をたどって成り立ったのではないと言うことが皆さんにも明らかでしょう。きっと、太陽が できる翌日まで、神がご自身の光を植物に充てられ、植物が必要とする光を供給されたのだと私は考えます。
1:14 神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。
1:15 天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。
1:16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。
1:17 神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、
1:18 昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。
1:19 夕べがあり、朝があった。第四の日である。
「大きな方」、これは太陽で、「小さな方」、これは月です。地上にいる私たちから見た場合、太陽と月は全く同じ大きさに見えるということを 知っていましたか? これは偶然ではなく、神が宇宙を創造したと言う、もう一つの確固たる証拠です。
1:20 神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
1:21 神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。
1:22 神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
1:23 夕べがあり、朝があった。第五の日である。
鳥と魚が同じ日に造られた! 鳥と魚には似ている所があると考えたことがありませんか? 両方とも羽が(魚のはヒレと呼びますが)付いています! そして両方ともその羽を使って、飛んだり泳いだりしています。羽もヒレも共に流線形で空中や水中で動くのに最も適した形をしています。
1:24 神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。
1:25 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。
1:26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
六日目の最初の方で神は地を這う動物や歩くすべての動物を造りました。 そして一番最後に、神は人間を創造しました。確かに人間は動物と似ている所がありますが、 違うところもかなりあります。神は人間を「神にかたどり、神に似せて」造りました。それがゆえに、 人は動物のように条件反射に対して反応するだけではなく、起こる状況に対して適切な行動をとる 能力があるのです!つまり緊迫した状況にあっても冷静に物事を考慮することもできるし、自分の思考 についても考えることができるのです。それが理由で例えどんなに大きくて強い動物に対してでも、支配力 を持っているのは人間という訳なのです。
26節には神はご自分のことを複数形で、「我々」という言葉で表現したことを気がつきましたか? これは神は「三位一体」、つまり、天の父、子(イエス・キリスト)、聖霊のことです。新約聖書のヨハネ1章では、
1:1 初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
言いかえると、「言(ことば)」はイエス・キリスト」です。キリストは父ではありませんが、父と一体であると聖書は教えています。それ故にイエス・ キリストも父と同じように創造主なのです。
そしてヨハネ14:26 では、
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことご とく思い起させるであろう。
「聖霊」も神の一つの人格だと聖書の研究者が教えています。
神は「父、子、聖霊」だと言うこと、これが聖書で一番分かりにくいことかもしれないけれど、別に理解する必要はありません。人の思いは神の思 いよりもずっと限られていると聖書はイザヤ書で教えています。
イザヤ書>55:8 わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると/主は言われる。
イザヤ書>55:9 天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
では、創世記に話を戻しましょう。
1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
人間だけは「神にかたどって」創造された。それが理由で人間は動物より高い存在なのです。しかし神の法律を全く無視する人たちがいます。そう いう人たちは動物よりも低い存在になりがちです。戦争の中の残虐行為はその一例です。
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
1:30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。
その時、動物も人間も肉食ではなく、野菜と果物だけを食べていました! 羊は狼と一緒にいても全然怖くありませんでした。当時の肉食動物はよ り弱い動物を攻撃しなかったからです。
1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
たったの六日間で神は天地とすべての生命を創造しました。でも私はなかなかこの聖書のクラスを一週間では終わらせそうもありませんが。
2:1 天地万物は完成された。
2:2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。
2:3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。
第七の日は何曜日ですか? 土曜日です! それが理由で正教のユダヤ人は土曜日に安息日を取っています。どうしてクリスチャンは日曜日に安息 日を取っているのでしょうか? それは初期のクリスチャンは皆、ユダヤ人だったのでそのユダヤの習慣に沿って土曜日にユダヤの宮で礼拝をし、その翌日の日 曜日にクリスチャンの信者たちは自分達の集会を開いたからです。
2:4 これが天地創造の由来である。主なる神が地と天を造られたとき、
2:5 地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。
2:6 しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。
素晴らしい世界だったんですね! 雨は降らなかったけれど、お水は十分あった。そのころは破壊するような嵐もなく、竜巻も台風のような災害も なかったのです。
2:7 主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
人は神の生命がなければ、土の塵でしかないのです! 体は死んで腐ってしまうと、土に戻るのも、それが理由です!
2:8 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。
エデンの園は実際の場所だったんですね! どこにあったのでしょうか? 14節でわかります。
2:9 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせら れた。
2:10 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。
2:11 第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。
2:12 その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。
2:13 第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。
2:14 第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。
ユーフラテス川はイラクを通って流れます。だから多くの聖書の研究者によると、エデンの園は、イラクのどこかにありました。考古学者は人類の 文化の始まりはイラクだったと言っています。
2:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
2:16 主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。
2:17 ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
決して食べてはならない木は何の木でしたか? 「リンゴ」の木ではなかったんですね! 「善悪を知る、知識の木」でした!
2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助け手を造ろう。」
神は最初に男の人だけを造って、そのあと女の人を造りました。
2:19 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべ て、生き物の名となった。
2:20人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、
神は動物を造ったのに、どうしてご自分でそれぞれの動物に名前を付けなかったのでしょうか? 神は人間がこれらの動物達に命名(めいめい)す るのを見たかったからです。これは、如何に神様が人間を愛し、私達人間に「自から決断を下す」と言う力を授けられたかを表しています。人間は自由意思を授 かっていて、決してロボットやコンピュター器具のようなものではありません。
2:20 自分に合う助け手は見つけることができなかった。
人は動物には雄と雌がいることに気づきました、しかし人はその中には彼に沿うものがないと分かりました。
2:21 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
2:22 そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、
2:23 人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女と呼ぼう/まさに、男から取られたものだから。」
2:24 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
2:25 人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。
動物は自然のままで、服を着ていないけれど、恥ずかしいとは思いません。人間の中で自分の体が裸であっても恥ずかしいと思わなかったのは、最 初の二人の人、つまり、罪を犯す前のアダムとイブだけでした!
3:1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
悪魔は蛇の形でエデンの園の木々の間で女に現れて、声をかけた。悪魔の「魔」の字をよく見てください。何が見えますか? 二つの木と鬼の字で すね! これが偶然ではなく、昔の中国人は言い伝えでこのエデンの園の話を知っていた上で「魔」という字を造りました! 悪魔は嘘つきで、これが人につい た一番最初のうそでした。
3:2 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
3:3 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
3:4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。
これが二回目のうそでした!
3:5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
これは半分うそで、半分真実です。人は確かに目が開かれました、 しかし神の知識に達することは決してなかったのです。でも確かに悪を知るようになりました。 そのために、人間は今日に至るまで悪い行いよる苦しみを受けています。原子爆弾を造るのに知識が要りますか? そうです、莫大な知識が必要ですね。一瞬のうちに何万人もの人を殺す知識は良い知識だと言えるでしょうか?
3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
これが最初の誘惑で、最初の罪に至りました。 聖書が言っている「罪」とは、神の言うことに聞き従わないということです。
第一ヨハネの2:16が言っている、「肉の欲、目の欲、生活のおごり」です。「おいしそう」=「肉の欲」、「目を引き付け」=目の欲、「賢くなるように唆 (そその)かしていた」=生活のおごり。現在の人も、これらの誘惑に騙(だま)されることがありませんか? ほとんどの戦争は経済の理由があって起こり、 「肉の欲、目の欲、生活のおごり」のために戦われる。
3:7 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
神が創造された人間の体は、とても美しいものであり、何も恥ずべきものではありませんが、人間が犯してしまった罪の故に、人が、悪魔の嘘を信じてしまった が故に起こった結果です。そして人間の罪は、最初の服を作る結果となりました!
3:8 その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、
3:9 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
3:10 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
3:11 神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
3:12 アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
アダムは罪を犯した責任をとらないで、責任の半分を神に、そして半分を「女(イブ)」に押し付けたのです。現在の人も、よく他人に責めを負わ せるのではありませんか?
3:13 主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
女も自分の罪の責任をとらないで、蛇に責任をなすりつけました。
3:14 主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は/あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で/呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわ り、塵を食らう。
初めは蛇には足がついていて、足で歩いていたようですね。しかし蛇は呪われて這う動物になりました。
3:15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」
この予言は、天地創造から約4000年後、すなわちキリストの生誕と死、そしてキリストのよみがえりによって成就されたのでした。「お前は彼 のかかとを砕く。」の意味は、 “悪魔はキリストを十字架の上で殺す” と言う意味であり、「彼はお前の頭を砕いた」の意味は“キリストはよみがえり、悪 魔を打破し、致命的な傷を負わせ、神の御子であるイエス・キリストを愛し、信じる者達に対して、悪魔はもはや何の力も持ち得ない”と言う意味なのです。
3:16 神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」
動物がお産の時はあまり苦しまないことを知っていましたか? 犬か猫を飼っている人にはそれがわかりますね。人間の女の人だけが苦しむので す。
3:17 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ 物を得ようと苦しむ。
3:18 お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。
3:19 お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」
男の人への罰は何でしたか? 重労働でした! エデンの園の世話をする仕事は楽でしたが、エデンの園を追放されてから土地を耕す仕事は大変でした! そし て神が 地を呪ったので、もっと大変なものになりました。どうして神はそうしたのでしょうか? 自分と自分の家族を養うために人間を忙しくさせて、悪事をするひま がにいようにさせたのです。どんな人が一番悪事をするのでしょうか? あまり仕事がない人! あまり金持ち過ぎて遊ぶひまのある人、あるいは怠けていて、 何の役にもたたない人です。
3:20 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
3:21 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。
3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがあ る。」
3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
3:24 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。
人間は神との交わりが急になくなってしまったのですね。私たち人間は、膚の色や話す言葉は違っても、心(の底に)は皆同じです。人間には、神 の愛と霊と命が必要です。それがなくては、完全なる人になりません。しかし人は神に対する罪によって神から離れてしまったのです。
しかしながら、アダムとイブは、神から離れてしまったものの、以前は知らなかった方法で神を知り、神に近くに生きなければならない所へ出され たとも言えます。アダムとイブはエデンの園と言う完全な環境にいましたが、心から神に頼る必要はありませんでした。しかし、安全な園を失った時、彼らは、 主の愛と恵みと保護を心から祈り求めることを学んだのです。
人間の法律と神の法律は、ある面では同じですが、違いがあります。たとえば、殺人は神に対しても人に対しても罪ですね。でも人には、強い憎し みを罰する法律はないけれど、強い憎しみは神の目から見れば殺人に相当する罪です! 第一のヨハネ3:15では、「あなたがたが知っているとおり、すべて 兄弟を憎む者は人殺しであり、人殺しはすべて、そのうちに永遠のいのちをとどめてはいない。」とあり、そしてローマ3:23では、「すべての人は罪を犯し たため、神の栄光を受けられなくなっており。」と言っています。
それにもかかわらず、主の私達に対する愛は永遠で、また、無条件の愛なのです。ですから、神は、御子を救い主として地上に送られました。
「主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してなが く忍耐しておられるのである。」(ペテロ3:9)、そのためご自分の子、イエス・キリストを世に送って、人に罪と死から救われる道を備えてくれました! ローマ6:23では、「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」
5:1「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。」、
ヨハネ1:10では、 「彼(イエスキリスト)は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。」
1:11「彼は自分のところ(ユダヤ、イスラエル)にきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。」
1:12「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」とあります。
神の救いを知らないすべての人はどうやったら救いを受けられるのでしょうか? それはとても簡単です。ただ主イエスキリストを救い主として受 け入れることです! そしてそれをするのには、イエスの名前を呼ぶだけでいいです
ローマ10:13では、なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。ローマ10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。ローマ10: 10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
初めの人アダムの不従順により人類はエデンの園を失いました。しかし、イエスキリストの十字架の死に至るまで全うした彼の従順により、人が、神との 近い関係を持つというエデンの園への復帰の道が全ての人に対して開かれているのです。
ですからイエスキリストにあって、エデンの園をもう一度心の中に、また、家庭に持つことができるのです。アダムは、「善悪を知る木の実」を取ってし まい罪をこの世に招いてしまいました。しかしキリストはその復活にあって、「命の木の実」を私達に差し出しています。神が永遠の命と救いにあって、貴方を 祝福されますように。
こう祈ってください。「イエスさま、どうか私の心の中に入って下さい。私の罪をすべて赦して下さい。あなたのことをもっと知り、あなたを愛し、他の 人も愛することができますように。アーメン。」
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